田村清顕公と真田幸村公の墓

田村清顕公と真田幸村公の墓

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歴史・文化

田村清顕公と真田幸村公の墓

片倉家御廟所のある愛宕山の一角にひっそりとある、坂上田村麻呂の後裔といわれ、伊達政宗公に娘(愛姫)を嫁がせ強固な姻戚関係を結び戦国時代には広く名を知られた武将、田村清顕(きよあき)公の墓があります。そばには宗顕(清顕の養嗣子)・定広(宗顕の縁故者)の墓も建っています。

片倉家御廟所のある愛宕山の一角に、仙台藩主伊達政宗公の正室愛姫(めごひめ)の父である三春城主田村清顕(きよあき)公をはじめとする田村家の墓所があります。清顕公の没後、田村領は豊臣秀吉によって没収され、嗣子の宗顕は「牛縊(うしくびり)定顕」と改姓。子の定広とともに宮城県の伊具郡に静かに身を潜めていたといいます。その後、愛姫の命により、二代片倉重長が白石に招き住まわせたといわれています。定広は片倉喜多の名跡を継ぎ、片倉金兵衛と改名。真田信繁(幸村)公の遺児の一人である阿菖蒲姫(おしょうぶひめ)を妻に迎え、300石で仙台藩士となります。片倉家御廟所のある愛宕山に田村一族の墓所を定め、父清顕公の墓を建立。一族の菩提を弔い、没後、妻の阿菖蒲姫と共にこの地に葬られています。阿菖蒲姫の墓のそばには、名の刻まれていない父真田信繁(幸村)公のものと伝わる墓碑が並んでいます。
郵便番号
989-0231
住所
宮城県白石市福岡蔵本字愛宕山
電話番号
0224-22-1343(白石市教育委員会)
Homepage
www.shiroishi.ne.jp/sightseeing/katakura.html
備考
※見学無料
交通アクセス
東北自動車道白石I.Cから車で約10分

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